デザインを仕事にしていると、「言語化」することの大切さを日々感じます。どうしてこの形にしたのか、なぜこの色を選んだのか。言葉にして説明できることは、相手との誤解を減らしてくれる。だから言語化は欠かせない作業なんです。
でも、最近ふと思うんです。デザインそのものが、実は「みんなに会いたがっているんじゃないか」と。言葉を通してじゃなくても、絵や形で人に届こうとしている。デザインは人と人をつなぐ“会いたい気持ち”の現れなんじゃないかなって。
ところが、現代は「感じること」が少なくなっている気がします。便利な言葉に頼りすぎて、目で見て心で感じる前に、すぐに「説明」を求めてしまう。言語の方が効率的だし、得なのかもしれない。でも「嬉しい」「楽しい」「綺麗」「汚い」といった、言葉そのものが持つ語感を感じ取る瞬間を、私たちはどれくらい大事にできているでしょうか。
語感は、体験や体感と強く結びついています。子どもの頃、砂場で泥団子を作ったときの感触。夏の日に空を見上げて「青い!」と叫んだときの胸の高鳴り。そんな小さな体験からしか生まれない感覚があります。それを思い出すことで、「言葉」も「デザイン」も深みを増す気がするんです。
デザインはただ形を整えるだけじゃなく、感じたことをどう言葉に変換し、どう共有していくかが大事。そのプロセスで、自分が何を大切にしているのかが見えてきます。そしてそこからまた新しい出会いや気づきが生まれていく。
だからこそ、私は「デザインを言語化すること」を大切にしています。それは効率や説明のためだけじゃなく、体験や感覚を呼び覚まし、誰かと「会いたい」をつなぐため。デザインは人の心と会いたがっている。そう思うと、もっと優しく、もっと自由に表現していいのだと思えるんです。